「死ぬ勇気があるなら、その勇気を生きることに使え」

そういうのをよく聞くけれど、死ぬことを勇気だと思ってない。そもそもここが根本的に違う。

生きる勇気がなくなったから、逃げ道として死を選んだというだけ。
これは我ながら弱者の極みである。

死を選ばない人、普通に生きていける人は、ここを間違えているのだ。

そう、僕は弱い。

弱いからこそ全てに絶望し、八方塞がりから逃れることができず、自殺する道を選んだ。

でも死ねなかった。

死ねなかった理由は子供の顔が浮かんだからであり、寸前で思い止まってしまって今もこうして生きている。

調べてみたところ、親が突然自殺した場合、その子供の死生観は一生狂ってしまうらしい。しかも自殺の場合、残された家族に保険金も支給されない。

それは良くない。

子供たちのあの屈託のない笑顔を、無限大の未来を、僕のせいで奪うのは良くないし、親としてあってはならない。

そう思ったら死ぬに死ねず、首の皮一枚の状態で今日も命を繋いでいる。

このエッセイ「累日メランコリー」は、そんな僕が絶望の淵を彷徨い、いつまでもネガティブで何者にもなれない苦悩を抱えて生きる日々を綴ったものである。

累日とは、日を重ねる・ずっと続くこと。
メランコリーは、憂鬱で気が塞ぐ状態のこと。

毎日憂鬱な気持ちで生きている状況に、これ以上ないほどピッタリなタイトルだと思う。

気分の浮き沈みもあるので不定期更新になる可能性は高い。

しかし、会社員からドロップアウトし、フリーランスも低空飛行でドロップアウト寸前の中、ずっと「死にたい」という気持ちのまま生きる40代の既婚者子持ち男が、何を思って生きているのか、少しでもご理解いただけたら幸いです。